YouTubeなどでライブ映像やミュージック・ビデオを熱心に探して見たりすることはあまりないけど、シンシン刑務所(Sing Sing Prison)でのB.B. キング(B.B. King)のパフォーマンスは何度も見返してしまう。B.Bキングの他にジョーン・バエズ(Joan Baez)やヴォイシズ・オブ・イースト・ハーレム(Voices of East Harlem)も出演した、1972年の感謝祭の日に開催されたコンサートからのひと幕だ。この刑務所で収監者との映像制作のプログラムに携わり、本コンサートの実現に尽力したというドキュメンタリー作家、デヴィッド・ホフマン(David Hoffman)が収監者や職員の様子も交えて『Sing Sing Thanksgiving』(1973年)という映像作品にまとめている。
その刑務所は米ニューヨーク州のオシニングというところにあって、最高度の警備レベルを誇る刑務所らしい。この刑務所の元所長が著した『シンシンの二万年』が映画『春なき二万年』(1932年)の原作となったり、『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘップバーンが囚人との面会に訪れる舞台となっているので、きっと、とても有名な刑務所なのだろう。さらに、この刑務所で実施されている演劇を通じた更生プログラムは『Sing Sing』というドラマ映画になって、今年、A24の配給で公開(?)されるらしい。
調べてみると、1826年の開設というから、それだけで歴史のある刑務所だということがわかる。1972年に死刑が廃止されたようなので(とはいえ、その後も死刑執行が再開されたり停止されたりを繰り返すようだが、少なくともこの刑務所での死刑執行はこの年が最後のようだ)、奇しくもこのパフォーマンスと同じ年のこととなる。(一時的にでも)死刑廃止が決定されるきっかけになったファーマン対ジョージア事件の判決がくだされたのが7月のことなので、きっとこの映像が撮られた感謝祭の日(アメリカでは11月の第4木曜日)は死刑執行がなくなって最初の感謝祭ということになるのだろう。この演奏のとき、「オールド・スパーキー(Old Sparky)」とあだ名されたこの刑務所にある電気椅子がまだそこにあったのかどうかはわからない。
ともあれ、俳優/コメディアンで当日のホスト役としてクレジットされているジミー・ウォーカー(Jimmie Walker)の熱に満ちた招きに応じて舞台にいるB.B.キングが、よっこらしょっとズボンを引っ張り上げてから聴衆に話しかける。僕のヒアリング能力だとすべては解せないので、調べてみるとネット上にその言葉を見つけることができた(こちら)。拙いなりに訳してみると。
I was told that some of you dudes don’t know anything about blues,
君たちみんながブルースのことをよく知っているわけではないって人から聞いたけど、
So I wanna say this to you: I came to swap some with you. I imagine that quite a few of you dudes have the blues already.
だから、君たちにこれは言っておきたい。私は君たちと少しでも交換するために来たんだ。でも、君たちの多くがもうブルースを持ってるみたいだね。
と、ブルースとブルースを交換/交歓していく様子は、最初は緊張した面持ちで話しはじめたB.B.キングがすぐに顔をほころばせていき、彼の歌う言葉のひとつひとつ、弾くギターのひと節ごとに応えていく聴衆たちの、声を上げ、手を叩き、辛抱できなくなって立ち上がって身を乗り出す、その表情豊かさとのやり取りからも十分に伝わってくる。この「How Blue Can You Get?」の次に演奏する「Guess Who」は「誰かがあなたを愛している/誰かがあなたのことをとても気にかけている/それが誰だか思い当たるだろう?」という歌詞の曲なのだけど、当然、オーディエンスの中には涙を浮かべる顔がいくつもあって、あらためて、ああ、いいな。こういう場にいるただのひとりになりたいなって心から思う。もちろん、ライブ音楽の場がすべてこうあるべきだとまでは言わないけど、自分にとっての理想のひとつは例えばこういうものだ。この26人という大所帯のバンドを自費でまかなってキングは会場に来たらしい。
ちなみに上の映像だと1曲だけなので、全編を見たい方はこちらをどうぞ(ただし、監督のコメントなどドキュメンタリー映像部分も含んでいます)。ちなみに僕はブルースのことをよく知っているわけでもないし、B.B.キングのアルバムだって1枚しか持っていない(お粗末)。なお、B.B.キングの刑務所でのパフォーマンスを収めたライブ・アルバムには前年にリリースされた『Live in Cook County Jail』があり、また、その作品の発表と同じ1971年にはこのシンシン刑務所でエディ・パルミエリ(Eddie Plmieri)と彼のグループ、ハーレム・リヴァー・ドライヴ(Harlem River Drive)が演奏して、翌1972年に『Live at Sing Sing』というアルバムとしてリリースされている。刑務所で録音された作品というと、思いつくのはジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の『At Folsom Prison』(1968年)だろうか。そういえば、アンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)の『監獄ビジネス:グローバリズムと産獄複合体』という本も買ったまま手をつけていないので、そろそろ読まないと。
と、そんなことを調べたり考えたりしていて思い出したのは、マルグリット・ユルスナール(Marguerite Yourcenar)というフランスの作家(のちにアメリカに移住)が1929年に上梓した最初の小説『アレクシス』のこのくだりだった。
最初のコンサートで舞台に出ていったときのことを覚えている。聴衆はごくわずかだったが、それでも私には多すぎるほどだった。息が詰まりそうだった。芸術が必要不可欠な虚栄にすぎないあの聴衆と、魂を包みかくしている、というよりは魂の不在を包みかくしているあの取りすました彼らの顔が、私は嫌いだった。あらかじめ払われた報酬とひきかえに、決まった時刻に見知らぬ人びとの前で演奏する──私にはそんなことができるとはとうてい思えなかった。彼らが会場を出ながら口にするのを義務と思い込んでいる出来合いの評価は、およそ見当がついた。無駄な誇張への好みや、自分たちと同じ世界の人間だからという理由で彼らが私に抱く関心や、女たちの服装や化粧の、まがいもののけばけばしさを私は憎んでいた。夕方、いかにもみすぼらしい広間で行なわれる民衆音楽会の聴衆のほうがまだ好きで、ときにはそういう演奏会への無料出演を引き受けることもあった。その種の音楽会に来る人びとは知識を得たいという希望を抱いていた。他の連中より頭がよいわけではないが、より意欲的であることは確かだった。食事をすませたあと、一張羅を着込んできたのにちがいなかった。たっぷり二時間、ほとんど真っ暗な広間の寒さも我慢する覚悟ができていたのにちがいない。劇場に足を運ぶ人びとは自分を忘れようとするものだ。音楽会に行く人びとはむしろ自分を取り戻そうとする。昼日中の散漫さと眠りへの溶解のあいだに、真実の自分にふたたび浸ろうとするのだ。夕方の聴衆の疲れた顔、夢のなかで緊張をほぐし、夢のなかに浸ろうとしているように思える顔。そして私の顔……。私もやはり非常に貧しいのではないだろうか? 愛も信仰も、告白できるような欲望もなく、あてにできるものといえば自分自身しかなく、しかもほとんどつねに自分に不実なこの私も?
マルグリット・ユルスナール『アレクシス──あるいは空しい戦いについて』(訳:岩崎力)
ここで近況を。GOFISHのニュー・アルバムのリリースで、先々週から発送の毎日が続いていました(というわけで、この投稿も久しぶりに)。帰宅して昼食を摂って、荷造りしては発送、荷造りしては発送。大きな荷物は契約しているヤマト運輸さんに集荷してもらい、小さな荷物はもうすっかり顔なじみになったすぐ近くの郵便局へ。退屈な作業のようですが、実はそんなに面倒とも思わなくて、レーベル業務の好きな過程のひとつです。でも、宛名の手書きの悪筆はご勘弁ください。ともあれ、ご注文いただいた小売店の皆さま、通販でご注文いただいたお客様、どうもありがとうございます。お届けまでに数日かかるようですが、平日にいただいたご注文はなるべくその日のうちに発送しますので、引き続きご愛顧のほどを。
そして最後に、5月7日にスティーブ・アルビニ(Steve Albini)が急逝したことが伝えられました。ちょうど先月、ブリーダーズ(The Breeders)や同バンドのメンバー、キム・ディール(Kim Deal)のアンプス(The Amps)の作品をよく聴いていたのでびっくりしましたが、その多くの録音を手がけていたのが彼です。録音作品で僕が初めて聴いたのは、1988年にリリースされたピクシーズ(Pixies)のファースト・アルバム『Surfer Rosa』で、その後、実家を出て関東に来てからようやく輸入盤を扱うお店が身近になって、彼がやっていたビッグ・ブラック(Big Black)なども聴き進めていったのでした。アルビニのプロデュース作の中ではジーザス・リザード(Jesus Lizard)の『Goat』が僕は大好きでした。冥福を祈るとともに、彼の発言が伝える時に頑迷とも捉えかねない強固なインディペンデント精神や、商業化への批判、ギター奏者のマーク・リーボウ(Marc Ribot)との音楽著作権にまつわる論争など、その姿勢や思想も、いつか故人に近しい誰かがまとめて紹介してくれることを願っています。
B.B.キングの本当に良い顔を何度も見てしまいます。それがゴスペル出身者という経験上の慈悲深さからくるものなのか、(言葉が適切ではないのは承知の上で)本来の人間性なのか。3年前に劇場で体験したアレサ・フランクリン「アメージング・グレース」に於ける彼女の表情や振る舞いだったり、好きな「真夏の夜のジャズ」のラストを飾るマヘリア・ジャクソンの事とかを思い出したり。そこにいる人々の心を解放するかのようなあの不思議な浮遊感ともいうのか。
でも、当時のそれぞれの聴衆の立場(そして、それを映像で見ている自分)はまるで違っていて、そこでギヴアンドテイクされた「ブルース」はきっと色々な意味があったのだろうと想像もしてしまったり。もっと若い頃からこういう音楽に詳しくなっていればなあ、と明らかに自分が要因によるボキャブラリーの浅さを恨んだりもして(結局、自分も唯一持っているものがベスト盤だったりする)。
アルビニは9年前のシェラックとしての最後の来日公演は、自分にとって見たライヴのいくつかのベストに入るものでそれは内容以外のもの、演奏前にセッティングをする女性クルーの姿だったりお馴染みのドラムセットの撤収からの本人達による物販タイムだったり、インディペンデントである事の意味が今や変質してしまった時代だからこそのその根本の強さや、我々がかつて信じてた(敢えての)正しさみたいなものを、しかと思い出させてくれた事を今でも思い出します。本当に残念。
何かと忙しい日々が続くと思いますが、どうか体調に気をつけて。今週も頑張りましょうね